2014年02月10日10:40 來源:人民網(wǎng)-日本頻道
雖然一般認(rèn)為《萬葉集》中最古老的作品來自仁德天皇時(shí)代,但大部分作品其實(shí)創(chuàng)作于舒明天皇(于629年即位)時(shí)代到天平寶字三年(即759年)的近一百三十年之間。 |
『萬葉集』の作品の中、最も古い歌は仁徳天皇(にんとくてんのう)の代の歌とされているが、ほとんどの歌は舒明天皇(じょめいてんのう)(629年即位)の代から、天平寶字三年(759年)の約百三十年の間に詠まれた歌である。初期には素樸な表現(xiàn)の歌が目立つが、新しい歌では『古今和歌集』に近い歌風(fēng)になるというように歌風(fēng)の変遷が見られ、これに従って、通常四つの時(shí)期に區(qū)分されている。
雖然一般認(rèn)為《萬葉集》中最古老的作品來自仁德天皇時(shí)代,但大部分作品其實(shí)創(chuàng)作于舒明天皇(于629年即位)時(shí)代到天平寶字三年(即759年)的近一百三十年之間。初期歌風(fēng)樸實(shí),后來漸漸演變成接近《古今和歌集》歌風(fēng)的形式。和歌的演變過程,通?梢詣澐譃樗膫(gè)階段。
第一期:舒明天皇の時(shí)代から壬申の亂(じんしんのらん)(672年)前後まで。この時(shí)期は感動(dòng)を率直に表現(xiàn)した素樸な作風(fēng)が特徴である。皇室歌人が多く出たが、中でも額田王(ぬかたのおおきみ)が代表的である。
第一階段是自舒明天皇時(shí)代起至壬申之亂(672年)前后。這一時(shí)期的作品坦率地將自己內(nèi)心的感受表達(dá)出來,極為樸實(shí)。在這一時(shí)期出現(xiàn)了許多皇室出身的歌人,其中一個(gè)典型代表就是額田王。
第二期:壬申の亂(672年)前後から平城京遷都(710年)前後まで。律令國(guó)家が発展していった活気に満ちた時(shí)期で、宮廷歌人という専門の歌人が 活躍し、皇室を讃える歌も多く詠まれた。表現(xiàn)技巧が発達(dá)し、和歌の形式が完成したのもこの時(shí)期である。特に長(zhǎng)歌の発達(dá)は著しく、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)によって完成された。
第二階段自壬申之亂(672年)起至平城京遷都(710年)前后。這一時(shí)期律令制度得到長(zhǎng)足發(fā)展,充滿活力,這個(gè)時(shí)期的宮廷歌人活躍起來,涌現(xiàn)出不少贊美皇室的和歌。隨著語(yǔ)言表現(xiàn)技巧的發(fā)展,和歌的形式在這一時(shí)期固定下來。尤其是長(zhǎng)歌有了極為顯著的發(fā)展,而柿本人麻呂為此做出了很大的貢獻(xiàn)。
第三期:平城京遷都(710年)前後から天平五年(733年)ごろまで。律令國(guó)家が完成し、大陸の思想や文化が導(dǎo)入されると、多くの知識(shí)人が輩出 され、知的で個(gè)性的な歌人が多く出た。彼らは個(gè)性豊かな歌を詠み、ここに萬葉の最盛期を迎える。最盛期の歌は繊細(xì)で洗練されており、初期の素樸さは失われていった。また、代表的な歌人として、山部赤人(やまべのあかひと)、山上憶良(やまのうえのおくら)、大伴旅人(おおとものたびと)、高橋蟲麻呂(たかはしのむしまろ)らがいる。