2014年02月07日16:14 來源:人民網(wǎng)-日本頻道
昨日、今日と、10人の方の研究者発表、お二人の方の公開講演、存分にご勘能いただいたのではないでしょうか!肛飧`?模倣?オリジナリティ ——日本文學(xué)の創(chuàng)造力を問う——」をテーマにいたしました第27回目の、まことに充実した內(nèi)容の國際日本文學(xué)研究集會を、成功裏に終えることができる喜びを、研究発表?講演下さった先生方、二日間にわたって、大會を盛り上げてくださった參加者の皆様方、そして関係者の方々とともに、分かち合いたいと存じます。ありがとうございました。
昨今は、日本文學(xué)をめぐる國際的な集會も、あちらこちらでさかんに行われるようになってまいりました。先週、7日8日には、フェリス女學(xué)院大學(xué)で、日本文學(xué)國際會議があったばかりですし、來月7日には、大阪大學(xué)のコンベンションセンターで、全國大學(xué)國語國文學(xué)會と大阪大學(xué)COEプログラムとが合同で、「海外における源氏物語の世界 翻訳と研究」という國際シンポジウムを開催される予定になっております。
ともに喜ぶべき企畫ではありますけれども、國文學(xué)研究資料館がやってまいりました、この國際日本文學(xué)研究集會は、昨日の松野館長のご挨拶にもありましたように、四半世紀を超える歴史を、継続的に積み重ねてきた、いわば老舗であります。この間、その成果をさまざまな形で世に出してきたわけですが、長く続けることによって、しだいにはっきりしてきたことも少なくありません。
最近、日本語文學(xué)という表現(xiàn)が用いられるようになってまいりましたが、私じしんといたしましては、あらためて日本文學(xué)とは何か、ということが、さまざまな形でつきつけられるようになってきたと感じております。
古代日本の文學(xué)の主流は中國語文學(xué)でありました。あるいは中國語表記を媒介にすることによって日本文學(xué)を生み出してきたわけです。日本語文學(xué)としては、沖縄のおもろのようなものも當(dāng)然入ってくる。また殖民地における日本語文學(xué)、日本人はもとより、日本帝國の支配下にあって、日本人以外の人々の日本語文學(xué)もある。さらには、近年は、國際化の時代を迎え、たとえばリービ英雄さんのように、日本語で小説を書く人が現(xiàn)れる一方、何より、昨日のヒラタ先生が発表された「創(chuàng)られた被爆者詩人アラキ?ヤスサダ」のような文學(xué)が出現(xiàn)していることは、衝撃的でありました。それで思い出しましたのは、中國では、呂元明氏に「中國語で殘された日本文學(xué)」という本があることです。中國の地で、中國語に翻訳されて殘されているけれども、日本語で書かれたもとの文章は失われている例です。そんなあれこれを考えてまいりまして、はっきりしてきたのは、日本文學(xué)とは何か、ということをあらためて問いなおす必要が出てきたということです。
日本の研究者が、いかに熱心に議論したところで、出てこないような、日本文學(xué)に対する多面的な捉えなおしの視點は、この國際日本文學(xué)研究集會のような長い積み重ねの中からしか、出てこない性質(zhì)の成果であろうと思います。
今、日本の高等研究教育機関は、制度改革のために大きく揺れていますけれども、この國際日本研究集會が、これまでの果たしてきた意義と、これからさらにはたしうる意義とには大きなものがあると運営委員の一人しては考えております。そのためには、なによりも內(nèi)外の研究者たちの方々のご協(xié)力をなおいっそう得てゆかなければならないと存じます。
第27回を迎えました本研究集會が充実のうちに終えられました御禮と、本集會へのさらなるご支援を今後ともお願い申し上げまして、閉會のご挨拶にかえさせていただきます。